2015年3月28日土曜日

玉川その後、再開発の影響多々

玉川その後、開発進み、暫定堤防出来、良き環境は破壊された。
長期間の情報発信の欠落を反省する。
適宜、二子玉川の近況をお知らせしたい。
2014-7-16撮影 RISEの1期工事が後方高層ビル。手前は多摩堤通りの意味無き道路面嵩上げによるトンネル部。(上部の高さはスーパー堤防高さか?

2010年8月19日木曜日

8月21日花火大会:多摩川:玉川:川崎市:世田谷区

8月21日(土)19時~20時、川崎市制記念花火大会は第三京浜国道上流側、川崎市河川敷で 世田谷区たまがわ花火大会は246バイパス脇世田谷区河川敷グランドで各々同時にうちあがる。
例年、玉川一丁目南地区(東急二子玉川駅下車、多摩堤通りを渡り、旧堤防を通り抜けた)河川敷の住宅地先の本来昨年まで存在した河川敷で両方の花火を見ることが出来た。今年は200年に一度の洪水対策という、実際は日常生活に多大の危険(局所的集中豪雨、治安面等々)を強いる、役所のために、この地は河川敷から花火が見られなくなっている。以下の写真がその南地区の暫定堤防が邪魔をしている姿である。ご丁寧に区道際には立ち入りを阻止する柵が税金を使って立てられている。









一方川崎の花火の最も良く見える世田谷区側正面は第三京浜国道上流の広大な河川敷である。ここも堤防上部に柵が立てられ、川側の広大なエリアには入ることが出来ない。本来この5月末(元々は3月末だが、出来ないので遅らせたと聞く)で綺麗に開放されていなければいけないのだが国有地の本来目的でもある憩いの場を奪っている。この責任は誰がどのように区民、市民に対しとるのだろうか?
ほっておけというように感じれるのは役人エゴだと感じる。大いに嫌なことは嫌と言い、改めるよう各々できることを積み上げたい。次の写真が多摩堤通りから堤防上の柵をみたところ。いずれも写真は8/15撮影。                                                   

2010年8月10日火曜日

川崎市花火大会は河川敷では見られない:8月21日(土)

暫く投稿をご無沙汰していた。この3月で国土交通省による200年に一度の洪水を防ぐ暫定堤防工事は工期を5月連休明けまで延長?して中途半端で梅雨期、台風期を迎えることになった。
多摩川に面する区道から河川敷にかけて万里の長城的、府中刑務所の壁的、堤防がその半分くらい姿を表した。間に合わなかったところは、巨大土嚢を3段に積み、見苦しき姿を示している。

さすがに二子玉川駅下から上流、兵庫島公園にいたる付近は どうしたことか 緑色のシートがかけられ樹木の中に迷彩色で消しこもうとしている。視界を遮ることは同じ、途中の公園に行く道は何ら対策が無いので、水よ、増水したら住宅地に入りなさい の感である。

しかし過去この場所でこの区道面までに水が来たことは一度も無い。
なんとも 取った予算は贅沢に無駄に使おうという、○○根性が見え、納税者としてはいたたまれない。
3月中旬から4月上旬にかけての田園都市線下流方向の玉川1町目の河川敷風景です。

この手前のオレンジのフェンスネットは7月下旬頑丈な2m高さのフェンスに変わり人の侵入を阻止している。今は堤防法面は雑草が茂っている。

これはやや下流の松林の中の伐採、幸運な一部の松は移植待ち。この場所も土嚢が3段も積まれ区道から 川を見ることは出来なくなった。

ねずみもちの木が良い香りを出していたが5月27日夕刻、身代わりに伐採され今はもう無い。





今年も8月花火の時期となった。
8月21日(土)19時~20時行われる川崎市の花火はこの河川敷にはフェンスで人が入れず見ることは出来ない。何故昨年まで見られた場所を工事の遅れ、理不尽な工事の強行で見られなくする権利が国交省河川局、京浜河川事務所、田園調布出張所などにあるのだろうか?
見たい人は見られるようにしろと要請をしないのだろうか?

この5月連休まで松林の中には狸の親子が住んでいた。伐採されている時に撮影された子狸は今どうしているのだろうか? 川には亀、鯉もいたが・・・

2010年4月12日月曜日

2010年4月 『2010年度に入って』

4月になって、桜が満開です。 昨年の記載から時間が経ってしまいました。まめに記事を書かなければと思いつつ、年度替りの時期まで筆不精お許し下さい。下の写真は丁度玉川一丁目、多摩川河川敷の直前の区道際の桜並木を下流側から駅方向に見た風景です。今年の桜が見納めで来年は見られなくならないようしたいものです。これを切り、安全を守ると言う名目の暫定堤防をこの場所に通すことが、広く市民の気持ちに適うのか、税収不足の中で確保した09年度予算を使い切る公僕の考えは理解出来ないものがあります。

 3月下旬の寒さが続いたせいか、桜の開花はやや遅い感じでした。3/27,28の土日も8分程度開花はしましたが、4/3、4日は見事な河川敷の桜で人通りも多く、桜の木の下で花見を楽しむ方も多くいました。 例年ですと二子玉川駅東口から河川敷に多摩堤通りを渡り、堤防の陸閘を通り抜け、既存堤防の桜を横目に見ながら河原に出、区道を下流方向に歩くと河川敷に桜の老木が順番に散策する人を出迎えます。更に松林を通り抜けると世田谷区の管理する公園地帯に出、多摩堤上の桜が第3京浜国道方向に向かい開けた景観を提供し、芝生の上で家族連れ、友人連れの集団が花見を楽しむことになります。
 今年は国交省京浜河川事務所の暫定堤防工事の為、河川敷は鋼鉄製フェンスで覆われ、来られた方々はその無残な景観に驚き失望の顔色でした。更にその気分を暗くするのは、松林の景観で切り株が多々。ごく一部の木は二子玉川駅下流域に移植されましたが、移植は10%も無い有様。切られた木の崇り、怨霊がどのように出るか自然破壊は自然により仕返しされる野例えがあるように因果応報が起こることを予感します。その地に住み着いていた狸の親子はいずこに?、鳥達も寝ぐらを奪われ、 電線の上で昼間は啼いています。


続きの現場の写真はまた近々ご覧に入れます。

2009年11月24日火曜日

無法地帯:視界を遮る堤防の河川側はこうなる


橋の下ディスコもどき

多摩川ディスコ
堤防が出来ると従来は180度開けていた視界が遮られます。2.7mの高さがあれば、これは隣に刑務所の塀が出来たことと同じでその向こう側は何が起こっているかわかりません。東京都側、すなわち多摩川の左岸の玉川一丁目は現在は開けた河川敷ですから、不審者、迷惑者などがいると直ぐに判ることからそのような者達の出現も少ないのが良好な住環境を維持できている要点になっています。しかし右岸の川崎市二子新地側を見ると道路、堤防を越えた河川敷には駐車場、野球場、グランド等があり、またバべキュー等も許容されていますが、そのごみを見ると、田園都市線陸橋下の河川敷は悲惨な光景が広がります。夏場は朝から深夜までディスクジョッキーをする輩、スピーカ・電源を持ち込み嬌声を上げる人達、対岸の東京都へはストレートに騒音がまきちらされます。ホームレスの青テントもずいぶん川崎側は増えました。東京都側の玉川一丁目付近は幸いに住民の目がありそのようなことは起こっていませんが、暫定堤防・2.7mが出来ると川崎側の姿が起こる可能性が極めて高いといえます。それは二子玉川という商業地区を駅周辺に持つからです。これに対して国交省は過去3年、川崎側の現状に対し、神奈川県、川崎市、高津区、警察署、住民を交えて協議会を作り、そのようなことの起こらないように持っていく。東京都側も同様考えるから任せなさいといったニュアンスで世田谷区にその旗振りを振りました。この動画は昨年の夏の川崎側二子新地の田園都市線下流そばの国交省管理用地における無法ぶりです。この事実に対し、京浜河川事務所は問いを発すると下を向いているだけで回答が神奈川県に関してまったく出来ない状態が3年以上続いています。これで東京側を信じろといわれて信じる人がいるのでしょうか。1年前の世田谷区の回答は青テント対策について、砧方面にそのような方を収納する施設を作り、入っていただくようにし、ホームレスの解消を目指すという回答のみで、入りたくない人には難しい、また騒音、不審者対応などに関しては,明言が無い状況となっています。

禁止看板も無視では可愛そう。設置することで国は免責となっているのかな

玉川一丁目㈱パイオニア跡地マンションによる残念なこと


立派なが切られました。 11/19
跡地を買い取った三菱地所は8階建てのマンションを建てる予定で、邪魔になる松の一番大きいものを
まず切りました。
無残な光景です。残り2本の運命は?
三菱の創始者の岩崎弥太郎さんの理念はどこにいったのでしょう。
三菱グループは企業理念の根本として「三綱領」を持ち新たな解釈を施し、三菱グループ共通の経営指針としている。
「所期奉公」 - 事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する。
「処事光明」 - 公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する。
「立業貿易」 - 全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る。


始まった2年目工事


11月より200年に一度の洪水に備える国交省による暫定堤防工事2年目が始まった。
10月25日の工事説明会においては多くの住民がこの工事に関する疑問を質したが、答えは国からされることなく、更に工事着工を前提にしたのか工事業者も同席して行われた。
工事範囲の囲いがフェンス(だいだい色のネット、2m近い鋼鉄製のフェンスにより第三京浜橋下から上流の暫定堤防施工付近を目指し施工されつつある。




河川敷の広場(世田谷区借用)では土砂が多摩堤通り、田園調布方向からダンプによって運ばれ持ち込まれている。河川敷の中に土砂を持ち込むことは、暫定堤防工事では無いと、2年前から聞いているが、中洲、河川敷の掘削で得たもののみを利用するのではないのか?河川内の水を流す有効断面積を外から持ち込んだ土砂で狭めて正しいのか?


背後の二子玉川東口再開発エリアに建った150mのマンション2棟他の高層マンション群。我々はこれらを二子玉川の卒塔婆と呼んでいる。


ここにも世田谷区の標識。手続きを踏んで借りている河川敷を手続きなしで勝手に工事に着工して、国が大家であってもよいわけがない。法律違反を国が犯しているのでは??




土砂を河川敷外から多摩堤通りを経て田園調布方向から搬入するダンプ。この時は5台見た。



現在ある堤防の天端(てんば)。上流側、二子玉川駅方向を見る。工事フェンスにより河川敷広場は閉鎖されつつある。


多摩堤通りも東急自動車学校から、高層マンション群の横にかけ、道路面が既存堤防に迫る高さに嵩上げされ、雨水排水管工事なのだろうか?既存堤防道路側を切り欠く形で掘削工事が行われ、その分多摩堤通りは大きく内陸側に迂回となった。

迂回された後の、現堤防を切り欠く掘削工事の状況




世田谷区が国交省から借りて住民の憩いの場として活用されていた公園。
国への手続きがなにもされていない状態で、国が勝手に区民の権利を侵して工事で公園を封鎖するのは法律違反だ。








環境保全を訴える住民が掲示した横断幕


松林の中の工事建設のためのフェンス設営。これらの松の運命はもう無いのか。。。


立派な姿の大きな松。葛飾北斎の浮世絵の時代からの景色の一部と住民は保存を願う。
後の世代にこれらの環境を伝えるのが現世代の勤め。


第三京浜下流側に設けられている、下野毛雨水幹線の多摩川への吐出(放流)ゲート。
放流高さは堤防の天端からはるか下。この部分から多摩川増水時は雨水配管に逆流しないよう、適宜ゲートを閉鎖(絞る)らしいが、運転基準は不明。


吐出ゲートの手前にある現堤防内陸側に設けられた下野毛雨水幹線のゲート。
今は無くなったアバロン乗馬学校のやや下流側。
これら二つのゲートの操作により多摩川の水位が低いときは問題なく雨水は放流されるが、洪水時は、多摩川からの逆流を考え閉まると、二子玉川地区の雨水は放流先を失い、家屋の浸水に至ることとなる。
現玉川一丁目南地区は、遮る暫定堤防はまだ無いので、区道より多摩川河川水位が低ければ、どんな局所的集中豪雨がこのあたりに降ってもすべて自然流下で多摩川の河川敷に排水される安全なエリアだが。。。